ブックタイトルメカトロニクス1月2021年

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概要

メカトロニクス1月2021年

44 MECHATRONICS 2021.1 「鉄」が最初に作られたのは、紀元前1900~1200年に栄えたピッタイト帝国(現在のトルコ周辺)で、当時は金の5倍、銀の40倍の値段で取引され、装飾品として使用されていたという。歴史のある「鉄」である。日本では、古くは1727年まで遡り、土瓶の代わりに登場したのが南部鉄瓶であった。 日本における近代製鉄は洋式高炉を築造して1857年12月1日に幕開けしている。これを記念して12月1日は「鉄の記念日」として制定されている。 近代鉄鋼業の発祥地はイギリスであるが、その鉄に関する略史を日本中心に示すと表1のようになる。1. 鉄鋼産業の復活 戦争で焼け野原となった日本を復興させるため政府がまず着手したのが、あらゆる分野で使用されると言われる基礎素材で「産業のコメ」と呼ばれる「鉄」の復活だった。 鉄が産業のコメと言われ程、鋼の生産量は国力の指標の1つとされている。鉄鋼業は、高度経済成長期に高い技術力で、多くの産業の振興に貢献し、日本経済の「奇跡の復興」を支え続けた。また、「鉄は国家なり」とも言われ、鉄は産業を支えるものであり、その生産規模や使用量が経済力のバロメーターとなっている。1-1. 原材料 日本では鉄鉱石はほとんど採掘されていなく、ほぼ100%を輸入に頼っているのが現状である。鋼1トンをつくるのに鉄鉱石は1.6 ~1.7トンが必要で、鉄鉱石はオーストラリア、ブラジル、カナダ、南アフリカ、インド、チリから100%輸入に頼っている。 1トンの鉄鋼を生産するのに0.6トンの還元剤としてコークスが必要であり、コークスの原料の石炭もオーストラリア、カナダ、ロシア、米国、インドネシア、中国などから輸入に依存している。石炭を高温で蒸し焼きにするとコールタール、硫黄、ピッチ、硫酸、アンモニアなどの成分が抜け、燃焼時の発熱量が元の原料の石炭より高くなり、高温を得ることができることからコークスは鉄鋼業などで燃料として使用される。 また、廃プラスチックの還元力はコークスよりも3割程度高く、製鉄プロセスの還元剤としての役割だけではなく、熱エネルギーも利用できるためコークスの代替として相応しいことや二酸化炭素の排出量を低減効果も認められ、注目されている。1-2. 鉄鋼技術 鉄鋼産業の中で最も大きなものとその誕生時期は、“ 高炉”は18 世紀初め、“ 転炉”は19 世紀半ば、そして“ 連続鋳造”は20 世紀半ばに、それぞれ確立された。これらはその誕生の後、現在に至るまで国内鉄鋼メーカーでは、 高  炉 : 低コークス操業、低シリコン化、      低リン化等 転  炉 : 短時間精錬、高純度鋼、脱ガス等 連続鋳造 : 大断面化、高速鋳造、      中心偏析の低減化等といった技術開発がおこなわれ、また、その後工程である圧延、熱処理等における技術の向上に伴って、高品質、低コスト、高生産性を達成し、「産業のコメ」としての地位を築いてきた。1)1-3. 鉄鋼の生産 粗鋼生産については、表2に示すように時代とともに生産国が移っている。 さて、世界の粗鋼生産量の推移をみてみよう。国際鉄鋼協会(IISI)より世界63ヵ国の統計資料が公表されており、図1は1990 年以来の世界の粗鋼生産量の推移を示したものである。2) 世界の鉄鋼需要は、1970年代から1990年代前半までは7~8億トンレベルで10年間は推移していたものの2000年代に上昇機運となり、2004 年には10 億トンを突破し、2007 年に13億トンを超えた。そして2008 年のリーマンショックの影響を受けて2009 年は落ち込んだが、その後、ほぼ右肩上がりに成長し、今や18.7 億トンの生産規模となっている。 1950 年以降、粗鋼生産量は世界的に増加し、ソ連、米国、日本が1970 年頃までは順位は変わったものの3強を誇っていた。1970年頃から中国、韓国、インドの伸長が著しくなり、様相が変わっていった背景がある。第6回 鉄鋼産業の市場動向市場の生産統計とそのヒストリーちょっと気になる連 載表1 「鉄」に関する略史年 度内 容1727年南部藩の阿部友之進が釡石の大橋で磁鉄鉱を発見したものの藩は採掘禁止とした1856年水戸藩の要請で反射炉の操業に成功1857年南部藩の許可を得て盛岡藩士の大島高任が釡石の大橋で洋式高炉を築造、大橋産の良質な磁鉄鉱を使って日本で初めて連続出銑に成功(成功したことから近代製鉄発祥の地と呼ばれる)日本における近代銑鉄の幕開けとし、12月1日は「鉄の記念日」に制定1858年橋野に仮高炉を築造し、操業を拡大、最盛期には13基の高炉で年間3,000トンの鉄がつくられ、約3,000 人が働く一大工業地帯が形成された(三番高炉は1858 年に建設され、1894 年まで稼働)1880年釡石に官営製鉄所が操業(イギリスから25トン高炉2基が輸入されて建設されたが不具合が頻発し、わずか3年で廃止。民間の釡石鉱山田中製鉄所に払い下げされた)1885年明治新政府は釡石に官営の鉱山と製鉄所を建設するも軌道に乗らず、実業家の田中長兵衛が釡石鉱山を買い取る1886年小型の2トン高炉をつくり、試行錯誤の末、49 回目の挑戦で出銑に成功1887年釡石鉱山田中製鐵所を創立1894年釡石鉱山田中製鐵所は官営時代の25トン高炉を30トンに拡大した上で、コークスを用いて本格的な鉄の大量生産を日本で初めて実現1901 年 八幡村に160トンの東田第一高炉が操業1912年日本鋼管を設立1913年日本鋼管、平炉稼働1917 年 製鉄業奨励法を制定1925 年 銑鉄68 万トン、鋼材104万トンの生産量1933年日本製鐵株式会社法を公布1934年官営の八幡製鉄所と三井系の輪西製鉄、釡石鉱山、三菱系の三菱製鉄(朝鮮の兼二浦)、安川系の九州製鋼、渋沢系の富士製鋼の民間5社の合同によって日本製鐵を発足させた1936年日本鋼管、最初の高炉を立上げ、銑鋼の一貫体制が整う1943年銑鉄403 万トン、鋼材765 万トンの生産量1946年全国で高炉が動いていたのは3基のみで、銑鉄20万トン、粗鋼56 万トン、鋼材43 万トンの生産規模であった1947年資金や資源を鉄鋼と石炭の増産に集中させる「傾斜生産方式」を導入1950年日本製鐵は、八幡製鐵と富士製鐵に分割される粗鋼生産量が戦前の水準に回復1953年川崎製鉄(現JFEスチール)千葉製鉄所が稼働1956年初めて生産量が1,000 万トンを超える1964年西ドイツを抜いて世界第3位に1968年コンピュータによる24 時間365日ノンストップの巨大オンラインシステムを君津製鉄所で世界に先駆けて実現1970年八幡製鉄と富士製鉄が合併して新日本製鉄が発足し、粗鋼年産能力4,160 万トン規模の世界一の鉄鋼メーカーに1973年バブル前の鉄鋼生産のピークとなり、それ以降は右肩下がりとなる1980年米国を抜き世界一の鉄鋼生産国に1984年全国で65 基の高炉となる1989年釡石で第1高炉をはじめとする鉄源設備が休止となり、1886 年(明治19年)以来燃え続けた高炉の火が消えた1990年全国で45 基の高炉となる1996年中国が日本を抜き世界一の鉄鋼生産国に2001年鉄鋼各社が経営悪化2002年日本鋼管(NKK)と川崎製鉄が合併し、JFE ホールディングが誕生新日鉄、住友金属工業、神戸製鋼所の3社は相互に株式を持ち合う資本・業務提携を締結2003年JFEスチールが発足2004年JFEスチール、第2高炉火入れ(第1高炉は一時休止)2012年中国・宝鋼集団が広東省に年産1,000 万トンの巨大製鉄所の建設を開始新日本製鐵と住友金属工業の統合により新日鐵住金が設立される2016年新日鐵住金君津の第3高炉(炉容積4,822m3)を停止2019年新日鐵住金から日本製鉄の商号を改める2020年日本製鉄が呉製鉄所と和歌山製鉄所の高炉をそれぞれ閉鎖および休止すると発表JFEスチールの東日本製鉄所京浜地区の高炉を2023 年度目途に休止すると発表表2 粗鋼生産の生産国時 期生産国19 世紀後半~20 世紀前半米国の時代1960 年~1990 年前半日本の時代1990 年後半~21 世紀中国の時代